こんにちは!ぐちまるです🐤
本日はぐちまるのAC(アダルトチルドレン)養成期のはじまりについて書いていきます!
ぐちまるファミリー🐤
父… 職業は消防士!自然が大好きなアウトドア派。アルコール依存症で酔っぱらうと暴れちゃう。
母… ヒステリック爆弾。いつも悲観的で爆発すると手がつかないほど怒り狂う。
姉… 3つ年上のおねーちゃん。幼い頃は父からの虐待の反動でぐちまるをよくいじめていた。
はじまりは関西の地方にある小さな町、
住宅地ではあるものの、近くに山も川もあり冬には雪がどっしり積もる四季が楽しめる自然豊かな町でした。父から夜逃げする5歳までこの町で育ちました。
想い出せる一番古い記憶は物心がつく前、言葉もまともに話せないくらいの頃から、(ホームビデオの記録や2~3歳くらいのぼんやりした記憶。)
夏の暑い日に母がうちわで扇いでくれて、心地よくお昼寝していた記憶。
庭で小さなプールで遊んだ記憶。
父と一緒に雪だるまをつくったり、かまくらを作った記憶。
ぷくぷくだった私のほっぺをむにっと掴んで“こぼれそうなほっぺ”とかわいがってくれた記憶。
姉と父がひよこ🐤と思って買ってきたそれが実はアヒルだった(笑)
ニワトリには育たなかったそのアヒルに追いかけ回され、頭をつつかれ号泣した記憶がある。
普通の幸せな家庭っぽい心地のいい記憶はこんなところでしょうか。
幸せな記憶はぼんやりとしか覚えていないけれど、
痛みや恐怖を伴う記憶は鮮明に覚えているもので、、、
父と母の躾け方法は、怒鳴り散らしたり、殴ったり、突飛ばしたり、蹴とばしたりするもの。
心痛むシーンばかりが鮮明に思い出される。。。
私と姉が言う事を聞かないと、父は手加減を知らない力で私たちの頭にげんこつ。
「ゴツン」という鈍い音が頭の中で響いて脳が震える感じがする、しばらくしてから殴られたところがじんじん熱ーくなってきて次第に強烈な痛みに変わった。頭蓋骨がつよくて良かった(笑)
出先で駄々をこねたとき、腕を思いっきり引っ張られそのまま引き吊りまわされ、腕がちぎれるかと思った。肩が外れかけたのか、その後も数日は肩と腕が痛かった。怒られたことを体が覚えていた。
私が泣き止まないと母は季節も時間も関係なく家の外へ私を追い出しました。泣き疲れて大人しくなるまで家に入れてもらえなかった。特に記憶に残っているのは雪の降る冬の夜、夕飯で出たブロッコリーが食べられないでいると母はテーブルを叩いて「食え!」と怒鳴った。私はすぐに泣きだし、次第に過呼吸になってなにも口へ運ぶことすらできないでいると、凍える夜の庭に追い出されてしまいました。
家族から切り離された気持ちになって、寂しくて寒くて早く部屋に入れてほしくてもっと泣いてしまって、全然中に入れてもらえなかったな。しばらくすると寒さで震え泣く余裕もなくなり、頭がぼーっとしてきたころにやっと部屋に入れてもらえた。ジワーっと体が暖かくなっていく感じが熱くさえ感じた。
大人になった今思うと、
両親の躾け = 服従だったんだと思う。
そのために怒鳴る、殴る、蹴るは躾の範囲内だったのだと思う。(時代もあったのかな?)
実際、母はよく「言う事を聞く子=良い子」と言っていたのを覚えています。
つまり彼らの都合の良い子にならないといけなかったという事。
でも小さな私たちには大人の都合なんて分からなかったし、そんな都合がある事さえ理解していなかった。いろいろな感情や要求を抑圧された私はときに癇癪を起してしまい、それを制御するためにさらに暴言暴力で抑えつけられ、物心つく頃には父と母に愛されない(怒られる)事への恐怖が植え付けられていました。(2~3歳のイヤイヤ期の頃だろうか。)
泣き止んでいう事を聞かないといけないのに、愛されない恐怖でより一層泣いてしまって彼らをもっと怒らせる、“負のスパイラル”がよく起きていたと思います。
こうしてぐちまるのAC(アダルトチルドレン)養成期がはじまったのです。
世の中にはもっとひどい虐待やネグレクトなどあるのはよく分かっているし、そんなひどい加害者たちに比べれば、うちのはずっと親らしかったのかもしれない。
でも心に残った傷は、形を変え大人になった今でもぐちまるを蝕んでいます。
特に主従関係のある仕事においての人間関係でかなり苦労してきました。。。
「わたしもそうだった!」って同じような状況で悩んでいる方に寄り添えるような、
生きづらさを抱えながらも歯を食いしばって頑張っている方が少しでも安心できるような、
そんなブログになる事を願っています。
さてさて、次回からは「エリートアダルトチルドレンぐちまる」を形作った子供時代のエピソードを書いていきます!
お楽しみに!
つづく。