こんにちは、ぐちまるです🐤
今回はぐちまる史上最恐の暗黒時代となったブラック企業での体験を書いていきます。。。
前社では上司の裏切りにあい、強い燃え尽き症候群になってしまったぐちまる。
夢や目標を失ってしまったような気持ちになって、どの道に進めばいいか分からなくなってしまった。
だけどこれまで頑張って残した実績や成功体験は私の物。何にも奪えない!
少し時間がかかったものの、立ち直れた✨
新しい道へ進むため新たに人生設計をプランニングしました!
当時ネット通販がぐーーーーんと伸びてきた時期でした。もともとクリエイティブな仕事に興味があったため、それぞれに関連のあるWEBデザインの短期学校へ入学することに✨
この選択はとっても良かった、当時のぐちまるをほめてあげたい💕
今でこそWEB関連の仕事は幅が広くなり様々な職種が産まれ、職種によっては一般的な選択肢となりましたが、当時は貴重な”IT人材”と言われどの業種でも引く手数多でした。
その後の転職にはとても有利につながりました✨
WEBデザインを修得したぐちまるは、それを活かして転職活動を開始!
同じころ、前の会社の知り合いが東京で新しく事業を立ち上げ、人材募集をはじめたと聞きつけ、WEB関連のポジションがないかお伺いを立ててみると、WEB関連の部署自体はまだなかったのだけど、必要性を感じていらっしゃったとの事で新設していただくことになりました✨
こうしてぐちまる23才で上京が決定!心機一転、東京で第二のビジネスライフをスタートさせました!
新しい会社は人数も少なく、知り合いの方が他にもいらっしゃったので早く職場に慣れることができました。ジョークを言い合ったりお互いを鼓舞し合ったりと、和気あいあいとした雰囲気の中にも仕事へ真剣に向き合う事ができ、この頃は毎日が新鮮で出社するのが楽しかったです✨
しかし3か月が経った頃、そいつはやって来たのです。。。
事業全体をまとめる本部長を新たに迎えました。
そう、この本部長がとんでもないパワハラくそ野郎だったのです(笑)
それまでとっても平和にやっていたのに、、、。
関西出身の当時40代半ばの男性。
見た目は本当普通のおじさんでしたが、乱暴めのコテコテな関西弁で「ミナミの帝王」的な雰囲気をまとっている。
会議で怒鳴る、机を蹴る、机をたたく、物を投げるは当たり前、
「俺が言った事が絶対!お前らは言う事を聞いて当たり前!」
こんな感じのジャイアンを煮詰めた感じの人だった。
この頃のぐちまるは、新設ポジション且つ初めての職種だったため手探りで仕事を進めているような状況でした。
部長もぐちまるが担当している仕事は専門分野外で疑問が多く、それに対してぐちまるも十分な説明ができなかった。それがもどかしかったようで度々部長の逆鱗に触れ怒らせるようになっていきました。。。
毎週月曜日の会議ではみんなの前でつるし上げられ、答えられない問いを執拗に詰められたり、罵声を浴びされるだけの時間もしばしば。
「頭悪いなー脳みそ入ってるんか?」
「耳聞こえてるか?ヤレっつてるやろ!」
「なんで分からんねん!殺すぞ!」
こんな言葉で怒鳴り散らされ、会議中よく泣いてしまったものです。
会議のある月曜日がくるのが本当にイヤで、日曜日の朝から鬱々とし始めます。
月曜日の朝は絶望的です。
「あぁ、、目を開けたくない。」
「このまま死にたい。」
「人生を終わらせられるスイッチがあれば何のためらいもなく押すのになぁ。」
「今日のあいつの機嫌はどうだろう、どうか悪くありませんように。」
ついには金曜日の夜から月曜日を迎えるのが怖くて鬱々とするようになりました。
そんな日々を乗り越えながら、ぐちまるは必死に仕事に食らいつきました。部長の疑問に全て答えられるように、学びになりそうな事は片っ端から質問したりネット上で情報を集めたり、恥を捨てて社外の方の知恵をお借りしたり。(お取引先さんには鬱陶しがられることもありましたが、ぐちまるの必死な様子をみて詳しく教えて下さるようになり、専門的な知識も学ぶことができました✨ほんとに感謝です。。。)
そんな甲斐もあり、ぐちまるの実力はめきめきと上がっていき、少し認めてくれるようになっていきました。
しかし、実績が上がれば上がるほど次にはノルマがどんどん上がっていきます。
仕事に慣れて楽になるどころかどんどん増える仕事量。どんどん増える残業。
そんな時に部長は
「お前ら、残業代なんか1円も出ると思うなよ」
と吐き捨てます。
この時はなぜか「わざわざ言われなくても分かってますよー」と謎の理解力を発揮していた。
完璧なまでの社畜に仕上がっていましたね(笑)
今では考えられないと思いますが、当時のぐちまるの残業時間は月80時間~100時間あったのに関わらず、言葉の通り1円も残業代が支払われたことはありませんでした。
だからこそ残業時間に終わりがなく、退社時間が12時を超える事はしょっちゅうで、気がついたら夜中の2〜3時だったこともしばしば。終電がない時は実費タクシーで帰ることもありました。終わらない仕事は土日にひっそり出社して片付けることも。
ぐんぐんと成長したぐちまるは激しく叱責されることは減っていきましたが、
すでに刷り込まれてしまった恐怖はそう簡単に消える事はありません。
他の社員や取引先に怒鳴りつけたり、机を叩いたりと相変わらずの暴れん坊っぷり。
視界に入れないようにしていても狭いオフィスだったため音は遮断できない。
暴言やため息、ガサツな生活音など、彼が放つすべての存在感に怯えながら過ごしていました。
部長が怒鳴っていると、自分が怒られている訳ではないのにまるで自分が怒られているかのような焦燥感を感じてしまうのです。
部長がため息するだけでビクッとしてしまい心が掻き乱されます。
日に日に嫌悪感が増していき、1秒でも顔を合わせたくない、同じ空気を吸いたくない、「どうか通勤途中で事故にあってくれ」、雨の日には「喫煙スペースの非常階段から足を滑らせて事故ってくれ。」と願う日々を過ごすようになります。
そんな精神衛生が悪い状態が2年続いた頃、遂にぐちまるの体に異変が現れ始めました。
呑気症、唾液過多、嘔吐、喘息、不眠症など。
始めはとりあえずいろいろな内科に行ってみました。
しかしどこへ行っても原因は分からなかった。
それから消化器内科、呼吸器内科や大学病院などいろんな病院をたらいまわし状態に。
様々な検査を受けましたが特に異常は見つからず。。。
原因がわからないのがほんとにキツかった。検査費用もバカにならないし。
いつまでたっても決定的な原因は見つかりませんでした。
検査段階で下顎隆起(舌下の骨が隆起する症状)が見つかり「食いしばりがかなり強いね?ストレス?」と指摘されたり、「はっきりとした原因がないので、ストレスによる自律神経系の問題かもしれないね。」と言われたことを思い出し、ついに心療内科へ行くことに。
そこで症状と合わせて様々な検査でも異常が見つからなかった事と当時の状態について説明し、ようやく「自律神経の問題」と「適応障害」という診断を受ける事ができました。
医師からはっきりと診断名を教えてもらうことでこんなにも安心できるのか!と驚いたな。
そして医師からは「薬を出すこともできるが、根本的な問題の解決にはならない。症状を治したいなら環境を変えるしかない。」と言われ、ようやく「ここまでか、、、」という思いに至り退職を決意することができたのです。
なぜぐちまるはこの時まで退職を決意しなかったのか、考えられる理由はいくつかあったと思います。
結果を残さず辞めてしまうのは逃げることになる、逃げることは弱い、悪い事と思い込んでいた。
また、爆弾みたいな人との生活は母親で経験があるので、異常な状況という認識が足りなかったのかもしれない。ストックホルム症候群てきなやつでしょうか?
また、大好きで尊敬できる同僚がいたので、一緒に乗り越えられたのも大きかったですね。
そしていざ、退職希望の申告のとき!
それらしい理由と雇用契約の内容にそって1ヶ月後に退職したい旨を伝えました。
それに対し部長は、
「引継ぎをしてからじゃないと退職は認められない、でも今は後任がいない、1ヶ月後は無理、人採用するまで待ってくれ」
との事で、退職はいったん保留扱いとなってしまったのです。
次の会社が決まっている訳ではなかったので、仕方ないかぁと受け入れてしまいました。
しかし、それから数か月が経っても人が採用されなかったり、やっと後任を採用できてもパワハラ部長に恐れをなしてすぐに退職してしまったりと、ぐちまるの退職日が決まる事はなく、ずるずると時が経っていきました。
この間にも何度か面談があり、突然の昇給になったりと引き留め工作がありましたが、退職の意思が変わらない事と早く新しい人を採用してほしい旨を変わらず伝えていました。
しかし待てど暮らせど退職日は決まらず、終わりの見えない不安な日々が続くことに…。
小規模な会社だったため人事など他に相談できる部署もなく、部長の意図通りにしか進みませんでした。
症状が良くなることはなく、毎日部長と顔を合わせるのも声を聞くのも耐えられなくなってきたぐちまるは、最終的に強行手段をとることに。
「母が入院する事になり、何日までに実家へ帰らないといけない。もぉアパートも解約しました。」
と、こちらから期限を設けました。
もちろん嘘です。でもこうでもしないと辞められなかった。
すこし強引ではありましたが、はじめの退職希望の申告から1年2か月が経ちようやく退職することができました!
この会社では3年半在籍しましたが、ほんとに長かった…。
辞めた後もしばらくは社会復帰できず、ハローワークから様々な区のサポートなどを教えていただき、半年ほどお休みすることができましたが、転職活動を再開しようとしても電車に乗ると目眩がしたり、呼吸が苦しくなったり、スムーズには進みませんでした。
また、後に分かっていく事になりますが、このブラック企業での経験がトラウマとなってしまい、少しでも部長を彷彿とさせる人がいたり、似たような状況を察知すると一目さんに「逃げなきゃ!」っとガチガチの防衛本能を発揮するようになってしまいました。。。
この防衛反応とアダルトチルドレン特有の未成熟の感情のせいで、後年は転職サーフィン状態に陥ってしまいます。。。
さて、いかがだったでしょうか。似たような経験をされた方も少なからずいらっしゃると思います。
今現在苦しんでいる方もいるかもしれません。私たちほんとによく頑張りましたよね。
職場ガチャ外れちゃっただけ、あなたは何も悪くない。
では、次回の企業は~?
最短の2か月で退社!?さっそく防衛本能バリバリ発揮して最短退職することに(笑)
お楽しみに!
つづく。